なんで無理矢理に災害情報共有に使おうとするのだろうか?
震災以降やたら公式RTを使うように啓蒙するblogやら記事やらを見るんだけど、なんだかなあ。
なんでシステム側で対応すべきことをユーザーに強いるの?
そこになんで疑問を感じないの?
と、つくづく思う。
ユーザを教育するコストよりシステムを改訂するコストの方が低くて時間もかからないのは自明じゃ?
twitterが役に立たなかったとは言わない。一定の役割は結果として果たしてはいるだろう。だからと言ってtwitterが災害情報共有には最適だ!などと言うのは不可思議である。
twitterのリスクを意識して使っている人には問題はないのだろうが、あのツール自体は使う側に大きな負荷をもたらす。また、必ずしも迅速に信頼できる情報へとつながるわけではないのだ。
利点の一端だけを見て判断するという行為を是とするのか?という点には注意すべきだ。
原発の利点の一端だけを見て推進や受け入れを行って来た現実を今、後悔したり憂いているのであればこそ、そういった考えに簡単に流されるべきではない。
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